誤解、なのだろうか?

久しぶりに会った友だちがパジャマトークで盛り上がっているとき、スイッチが入ったみたいに語り出した。

「Rayちゃんは誤解されやすいんだよ!」と。
それは誰に対しても変わらず常に自然だからだと。親しくなればそれがRayちゃんなんだと分かるけど、普通の人はRayちゃんみたいな在り方に不慣れだから、怪訝に感じる。外人っぽいと。

んんん・・・、っぽいというより、ある意味そうなんだけど。

ま、そのように感じている彼女の感覚はそのまま尊重しよう。その感覚を伝えてくれたことも含めて。

こういうとき正誤で判別しようとすると、感情と記憶のプアゾンカクテルにやられてしまうから。
ひとまず俯瞰していろんな視点で観てみよう・・・。

彼女のいうように私は、誤解されているのだろうか?
それとも私が誤解させたいのかな?
はたまた誤解という単語を選んだ彼女の内側に、別の感情が隠れている?
などなど、もっとありますが。

不意に意識を過ったのは
女性二人がこっちを見ながら笑顔で囁き合っている様子を見たとき、
嫌な気持ちになるかならないか、ということ。

私のセッションを受けたことのある方は、「渡り鳥の話し」というキーワードで、合点がいくと思います。

ロールシャッハテストで、インクのシミがどう見えるかという心理投影みたいな・・・。

人は見たいように見るし、思いたいように思い、記憶は大いに改ざんされた塊。
だから私たちは、自分という存在を誤解している、と思うのです。あははは。

で、誤解、なのかな?


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