探す場所、そこでいいんだっけ?

アレどこだっけ??
と探し物をする時間って、あまり楽しくない。
急ぎの時なんかはイラっとするから健康にも美容にもよろしくないデス。

私は定期的に起きる片付け祭り発作でガンガン捨てているので、確かあったよなぁ〜と引っ張り出した記憶と、捨てた記憶のマッチングができていないと、モノ探しに時間を奪われます。

それで、捨てるか否か迷って捨てる結論に達したモノたちの集合写真を撮るようにしました。
確かここにあったよなぁ〜と思ったとき、その写真をチェックすると、探し物をするかどうか選択することができるから。

まあ、記憶を外付けで保管しなきゃいけないのもどうかとは思うのですが・・・。
ここは前向きに「創意工夫」ってことで。

自分のものならそういった手立てもあるのですが、子どもの探し物は困る。
ホントに困る。
いや、付き合わなければいいだけの話なのですが、そうも出来ないときがありまして。
しばらくは遠目に見守っていても、そのうち椅子の座面と私のお尻が反発しあって立ち上がることに。

「ねぇ〜、メイちゃんに尋ねてくれない?」
「天使の無駄使いはお断りよ。自分で探しなさい」
とか言い合いながらもアチコチ探して・・・。

で、何故か見つかる(泣

だいたい、探す場所を間違ってるのです。
そう、子どもの探し物に付き合っているとき毎回思います。

探す場所を間違うってめちゃくちゃ時間とエネルギーを消耗する。
探す場所が違うなって思うと、
天使のメイトランドが

「そうね〜・・・。Rayちゃんもね〜」と相槌を打ってくる。
そしてため息一つ。ふぅ〜〜〜〜

身体が動く前に、頭で考える。
なんか上手く行く方法ないだろうか??と。

そのうち、ネットサーフィンよろしく探さなくてもいいものまで探し始めちゃったりしてね。んで、目的がすげ替えられる。
探すことそのものにとらわれていることに気づかないまま時間が流れる。

自分探しだの、お宝探しだのといって、
私たちはけっこういらんことしてるのだと思います。

そして探していたもののほとんどは、身近にあったりする。

唯一無二のあなたが生まれる場所やタイミングを選んだのだもの。
そこにお宝が無いわけが、無い!
そこを信じられないから別を探してしまう。

師を求めて、世界のあちらこちらを旅していたけど
「お前さんの国にすぐ戻れ、そこで生涯の師が待っているから」と賢者に言われて帰国し、その通りになった道士の話もあります。

父親との確執から逃れて地球の反対側まで流浪の旅をしたけれど、結局実家に戻って父親と向き合うことでしか一歩も前に進めなかったという整体師の話もあります。

灯台下暗しとか隣の芝生とか言うように、外側に在るもののほうが光って見えますからね〜。

メガネ、眼鏡・・・って探してたら、頭の上だけでなく首にもかかってた、みたいな。
目は二つしか持ちませんのにねぇ〜〜

 


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