スピリチュアルの定義ってなんだ?と考えさせられることがありました。
感じ方もとらえ方も人それぞれなのですが、
「スピリチュアルなことを学ぶこと=甘えさせてもらえること」
ではないように感じます。
自分自身が積極的に自発的に
長い時間をかけて作り上げてきた「自分」という実態の無い存在に気付く時、
まるで自分の存在を全否定されているかのように感じることもあるでしょう。
そのプロセスは、ハッキリいってしんどいです。
ムチャクチャ抵抗します。
この際誰だってかまわないから自分以外の人のせいにして逃げ出したくなります。
でもね、そこまで嫌がる理由は何なんだろう??
そう感じることができたときからどこか楽になる。
自分にとって耳触りのいいコトを言ってくれる人は善い人で、
耳触りの悪いコトを投げかける人は悪い人。
そう信じ込んでいる自分に気付くも気付かぬも自分の選択。
職業によってスピリチュアルかどうかだって分けられはしないと今では思う。
お水の仕事も、学校の先生も、コンビニの店員も、弁護士も、サラリーマンも、
全部スピリチュアルだと私は思っている。
昔は思いっきり分けていて、芸能界の人たちと仕事するときなんか、ひた隠していた。
見えるとか聞こえるとかって、走るのが速いとか遅いのと大して変わりはないのに。
世の中から注目されていた新興宗教とひとくくりにされるのも避けたかった。
分けていた理由は私の中の葛藤が原因で、今ではソレが無いので全部横並びだ。
分けていたときは「隠し事」があって、いらぬエネルギーを使っていたなぁ。
父親との縁が薄いこともあいまって映画、『マイフェアレディー』に登場する
ヒギンズ教授のような存在に優しく導いて欲しいと願っていたときもあった。
でも、結局自分と向き合うときは、たった独りでやるしかない。
その意味が最近、本当に最近やっと解ってきた。
ゲリー(ボーネル)と出逢った10数年前、
「今世、キミに仲間は居ない」と言ってウヒヒヒなんて笑っていた彼に、
クソジジー!もういっぺん言ってみなと心で毒づきながら
私の防御壁は砕け、考えられないくらい凹んだ。
彼は本当のことを言っただけだった。
私はその本当のことを認めたくないだけだった。
ただ、それだけだった。
こんなことは、世の中のどこでだって起きている。
今こうしている瞬間に、家庭でも、職場でも、遊技場でもどこででも。
放置すれば腐敗が始まる肉の塊に連綿と受け継がれた血液の歴史が刻まれ、
全く性質の異なる魂というエネルギーが宿っている大矛盾。
そのことをスッカリ忘れて幻想ゲームの中に暮らす全てもスピリチュアルだと
私は思う。
Profile
Ray/関 加寿代
KNOWING Practitioner(叡智の実践者)、診療催眠療法士、スピリチュアルリーダー、ヒーラー、ボディーワーカー
ライター、イベントや企画のオーガナイザー ChannelAsoInc.代表
私は、あなたが分離の世界から目覚め
「なり得る自分」になるお手伝いをします。