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物ごころついてからは、この人生をより上手く行きぬくために、
生き残りの戦略を構築し、駆使し、頑張って、何かに成ろうとする。
ディティールやシチュエーションはそれぞれでも、たいていの人は
このようにして人生の時間を過ごす。

しかし人生は成るようにしか成らない。
最初から決まっているとは言わない。
ただ、成るように成るだけなのだとしか言えない。

分離させることに意味など無く、
理由もない、答えすらないのだよと、SALOMONは言う。

思考は止まることなく巡り、マインドのお喋りはどーでもいいよなことを
さも重要そうに語る。
それはそれでいい。
自然の摂理のように、ただそう在るだけなのだから。

肉の塊に宿った私たちができることは、
成るように成ることを見守るだけなのかもしれない。

私が見ているもの

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私が見ているものは、私が見たいから見ている。
私が見ているものと同じものを他者も見ているわけではない。

今日はすっごく久しぶりに凹んだ。
出来事によって気づいたことがあって・・・。
その源となる自分の葛藤が突き付けられたとき、もはや逃げ道はどこにも無く、
渋々「だよねぇ・・・down」ってかんじで、その痛みを感じ尽くしていたら、
やがて「あの景色を見ていたのはアタシだけだったかも・・・」という気づきに繋がる。

で、なぁーんだ、そーいうワケじゃんってかんじで過ぎてゆく。

冷たい雨が降っていたが、打合せにでかけた。
クライエントが遅れるというので、しばし内省を続けていたが、
隣に座っている若い男性二人の会話が耳に入ってきた。
彼らは、共通の女子の話しをずーっとしていた。そのメインになっていたのは
「**子ってさ、アタシ痩せたいんですぅとかいいながら、いっつもお菓子食ってるよな」
であった。

そうそう、もういい加減人間体験いいんじゃないのぉ?とかいいながら、
今日みたいな気づきが・・・。
「ハイ、それ、ワタクシですが、何か!?cool」って喉まで出かかったぜ。

私がどんなにゲゲ!!と思うようなハードルを目前にしたとしても、そのハードルが
みんなの目に見えているとは限らないのだ。

ひとつまみの塩で100膳飯

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何回も何回も転生するくらい人間体験には面白みがあるんだろうなぁ、
なんてことが最近よく思考の中に点在しているぞと思っていたら・・・。
長年付き合っているNちゃんと電話で話していたときそんな話題を提供してくれた。

もう、なんつーか、しつこいよね。
勤勉とか好奇心とかを越えてるんじゃないかという気がしてくる。
確かに人間で居ることはスゴイことだ。
思い込みだけで、そうじゃないってば、みたいなストーリーをガンガン展開させていけちゃう。
んで、傷ついたとか悲しかったとか孤独を感じたとか、その時々の感情に振り回されて
ダンスパーティーしているんだもの。

魔法使いのマーリンが「Rayはダンスが好きだね」とか「プレイグランドは楽しそうだね」
なーんて囁いていたのはこういうことなんだよねぇcool なんかムカつくsad

魂が観察するにはたった1回で事足りる転生を、まあ飽きもせず繰り返してさ。
いやいや、しかしこれさえも幻想の一部と言える。
だって、時は直線に流れているわけじゃないんだもの。
だからパラレルで、過去も未来も一気に起こっているってことだし。

まあ、そうすると「繰り返し生まれ変わる」って言葉も、その状態を言い当てているわけじゃない。

要するに、ほんのひとつまみの塩で100杯ご飯食べてるようなかんじかな。

体験した感情の残像

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かつて体験した感情の残像について、魔女友と語り合った。
人が経験する感情は、風のようにいつでも通り抜けて行くものなのだけど、
感情を体験した個人のフィルタが、素通りさせることなくしがみついてしまうと、
そのエネルギーは、身体意識に属する感情帯というエリアに停滞する。

誘拐して幽閉するようなかんじ。

で、自分で留めておきながら、しがみついているという事実を認めたくないので、
知らんぷりを決め込み、身体がサイン(痛みを伴う)を送っても、
居心地をよくするための対処はするが、根本に目を向けない。
そのことに気づくような現象が起きても、誰か(何か)のせいにするから、
やっぱりしがみついている事実に気づくチャンスを自ら奪う。

その仕組みを知っていても、「この人は凄い!!」とかって、こだわっている対象者に
対して経験した感情については、別枠を設けちゃったりして、ちゃっかり幽閉を継続する。

もう終わっているのに、過ぎたことなのに、自分の「こうであってほしい」という期待が
牛さんのように反芻させて、かつての感情を再体験させる。

私たちは、お互いが設けたVIPルームに幽閉している特定の相手に対する感情を
告白し合って大爆笑した。
お陰でまた、ワインのボトルが空になったcool

誰も悪くない

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自分自身に向き合って、それまでずーっと「自分」だと思い込んでいた存在を
客観的に知り始めたとき、抵抗しない人はいないのではないだろうか。

肉体が死なないようにと、何をしてでも生き延びるぞ!と、戦略を構築する。
他者から否定されたり望みが叶わなかったときに感じる痛みの感情を抑圧する。
成功体験や失敗体験を漏らすことなくメモリーする。
人生を生きるということを、純粋に観察する。

誰も悪くない。
すべて役割を全うしようとしているだけではないか。

しかしというか、だから否定されると抵抗したり反発してしまう。
ただ観察している魂以外は。
頭のどこかで、心の片隅で、「ああ、やっちまったなぁ」とかすめているのに、だ。
それこそがエゴ。
自分は正しいと思いたい。自分は間違ってなどいないと証明したい。
そう感じていることも、どこかで恥じてしまって素直に受け入れたくはない。
ああ、泥沼だ。

エゴはそうやって何をしたいのか?
ソノヒトをその存在を、守護しようとしている。
傷つかないように、悲しみの中に居なくてすむように・・・。
動機はそうだった。
発想は善だった。が、今となっては、守護する対象がエゴ自身にすり替わってしまった。
勤勉で居過ぎたからだ。

発想は善でも行動が悪になる場合がある
ソロモンの言葉の深さを感じるなぁ。

スピリチュアルとは

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スピリチュアルの定義ってなんだ?と考えさせられることがありました。
感じ方もとらえ方も人それぞれなのですが、
「スピリチュアルなことを学ぶこと=甘えさせてもらえること」
ではないように感じます。

自分自身が積極的に自発的に
長い時間をかけて作り上げてきた「自分」という実態の無い存在に気付く時、
まるで自分の存在を全否定されているかのように感じることもあるでしょう。

そのプロセスは、ハッキリいってしんどいです。
ムチャクチャ抵抗します。
この際誰だってかまわないから自分以外の人のせいにして逃げ出したくなります。

でもね、そこまで嫌がる理由は何なんだろう??

そう感じることができたときからどこか楽になる。
自分にとって耳触りのいいコトを言ってくれる人は善い人で、
耳触りの悪いコトを投げかける人は悪い人。
そう信じ込んでいる自分に気付くも気付かぬも自分の選択。

職業によってスピリチュアルかどうかだって分けられはしないと今では思う。
お水の仕事も、学校の先生も、コンビニの店員も、弁護士も、サラリーマンも、
全部スピリチュアルだと私は思っている。
昔は思いっきり分けていて、芸能界の人たちと仕事するときなんか、ひた隠していた。
見えるとか聞こえるとかって、走るのが速いとか遅いのと大して変わりはないのに。
世の中から注目されていた新興宗教とひとくくりにされるのも避けたかった。
分けていた理由は私の中の葛藤が原因で、今ではソレが無いので全部横並びだ。

分けていたときは「隠し事」があって、いらぬエネルギーを使っていたなぁ。
父親との縁が薄いこともあいまって映画、『マイフェアレディー』に登場する
ヒギンズ教授のような存在に優しく導いて欲しいと願っていたときもあった。

でも、結局自分と向き合うときは、たった独りでやるしかない
その意味が最近、本当に最近やっと解ってきた。
ゲリー(ボーネル)と出逢った10数年前、
「今世、キミに仲間は居ない」と言ってウヒヒヒなんて笑っていた彼に、
クソジジー!もういっぺん言ってみなと心で毒づきながら
私の防御壁は砕け、考えられないくらい凹んだ。

彼は本当のことを言っただけだった。
私はその本当のことを認めたくないだけだった。
ただ、それだけだった。

こんなことは、世の中のどこでだって起きている。
今こうしている瞬間に、家庭でも、職場でも、遊技場でもどこででも。

放置すれば腐敗が始まる肉の塊に連綿と受け継がれた血液の歴史が刻まれ、
全く性質の異なる魂というエネルギーが宿っている大矛盾。
そのことをスッカリ忘れて幻想ゲームの中に暮らす全てもスピリチュアルだと
私は思う。

ヒトとして現実社会で生きるときの責任を放棄するという話しではなく、
この世に生まれ、生きるときに「何かをしなければならない」ってことは無いのだ。

第一子、長女、家業を継ぐ者として祖母からの期待を受けて育つとか・・・、
私のケースではザックリだけど、そのような背景の中でノンバーバルなものも含めた
空気を呼吸して生きてきて、愛情が故に自らに課していたものがあった。
実際は、本人のオリジナルの資質とか兄弟が何人いるかとか、もっと沢山の要素が
網目のように張り巡らされているのだけれど・・・。

ともかく幾多の要素が絡み合った中でヒトは自分に色んなものを課している。
そういうヒトは「何かをしなければならない」と潜在的に思っているわけで、
思っているから、役割とかポジションを引き寄せたりもしちゃうし、そこで頑張ったりする。

今ではあの感覚をリアルに思い出すことが難しくなってしまったけれど、
かつての私はだいぶ頑張っていた。

「そこまで頑張らなくても」と誰かが言っても、頑張っているコトがデフォルトになっているから
ピンとこないし、頑張ってなんかないんだけどなぁとか、スットボケたことを感じていた。

あるとき、ワタシニハナニモスルコトハナイと気付いた瞬間、
全身に悪寒が走り、叫びたい衝動に駆られた。
なのにどこかほっとしていて脱力したような、
長距離マラソンでゴールのテープを駆け抜けたときのような、
終わったぁという安堵感に包まれてもいた。

しばらく動けなかった。自分の呼吸の音だけが響いていた。
状態を把握しようとシャカリキになっているマインドが働いていることを、
グリグリ廻っている目玉の動きで気付いた。
タイムラグがあったような気がするけど、その感覚もよく解らず、時間が介在しない場所で
呆然としていたようだった。

そろそろ文章にできるかと思ったが、まだ難しい。
何かをしなければならないということは何も無いが、私は何もしていないわけではない。
変化しているけど、何も変わってはいない。
矛盾。そう、矛盾している。しかしそれはポラリティー・対極でもある。
私たちが住む地球の持つ性質。

SALOMONからポラリティーの話しを聞いたのは20代のときだった。
クソ!!二倍した年齢に達するまで解らなかったじゃんと、貧乏性の私が毒を吐く。

日本語だと共時性とか、意味の有る偶然の一致とかって表現します。
「意味の有る」とはいっても、意味を作るのではなくて、気付いたらそうだったsurprise
みたいなかんじ。

たいていの場合、同じテーマのことを全く関係の無い他者や出来事で着目する
っていうか、してしまうことが多いのではないかと感じています。

私たちは日々を生きていて「当たり前だ」と思い込んでいる事柄を
繰り返し肯定することでアップデートしてしまっているんですよね。
ほとんど無意識の状態だったり、意識的だったりという違いはあっても。

例えば私はパワーが無いより有ったほうが善いと思っていた。
起源は大人から否定された幼少の時期。
ある日「Rayさんはパワーが有るから使いたいと思うんだよね。私は無いから思わないんだ」と
まるで「おはよう」とか、「行ってきまーす」みたいなかんじでサラリと口に出された言葉を聴き、
はあぁ・・・・って、膝カックン状態になった。

その言葉はボディーブローのように効いてきて、
彼女の言葉が頭の中でリフレインした。
私の意識は「なんじゃそりゃ!!そんな考えもあるんだ??」って、ざわついていた。

だーって、無いから思わないなんて、今まで一度も思ったことも無いし、頭をかすめたことも無い。
存在すら知らなかった。
エリマキトカゲとか、ウーパールーパーなんかを初めて見たときみたいだ。

そして最近、またそういうことが起きている。いや、自ら引き寄せている。
もう、これだから生きるのは止められない。刺激的でワクワクするんだもん。
だからたった1回で良いものを、ついウッカリ何回も転生しちゃうんだよなぁ・・・・。
しかーし、もう十分だ。アタシお腹いっぱいですからぁ。

正しいか否かではない

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2011年12月冬至(22日)下弦の月へと向かう時辺りから、
13000年毎に繰り返されている大きな変容のイベントが起こるという。
NASAでも観測されているフォトンフィールドのど真ん中に地球が位置するようだ。

もう何年も前からゲリーが公言したり書籍を出版したりサイトに書いたりしている
「光の12日間」の体験が訪れるという。

それが本当かどうか、私はどっちでもいい。
正しいか否かではなく、自分がどう在りたいかにフォーカスすると決めている。

昔、地球は丸いと言ったガリレオは
キリスト教に反するとかで軟禁されるなど不当な扱いを受けたが、
2008年の終盤になってやっとローマ法王は天文学の父、ガリレオ・ガリレイを認めると発表した。
「彼の研究は(キリスト教の)信仰に反していなかった」 と。

坂本龍馬の時代には、「みんなが笑って豊かに暮らせる国」は、夢のまた夢だったが、
その時代に存在しなかった人権が今はフツーに在る。
手塚治虫が漫画の中で描いていた未来都市を私たちは今生きている。
携帯電話、インターネットは当り前だ。

何が正しいか否かに目くじら立てたい人にはそうさせておけばいい。
人はどうでもいいということではない。
誰かの役に立ちたいなら、
自分がどう在りたいか明晰な精神を持ち明らかであればよいのだと思う。

基本、自由な選択

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アセンション、光の12日間、次元上昇・・・。
2011年とか2012年あたりを対象に、宇宙の大きなイベントが起こることを
色んな人が多様な言い方で表現していますよね。
とらえ方も様々だと思う。

私の認識としては、フォトンフィールドとかフォトンベルトと呼ばれる
エネルギーの帯域の中に地球が入っている間に起こる変化の中で、
人類がいわゆる覚醒した状態に成る。
その経験を人類全体の集合意識が受け入れ、自ら変容のプロセスに
向き合うときがくるのだと。

しかし先だって、人類の集合意識は、予定を変更したのだと聞いた。

そのときは、気分が悪くなった。
気が落ちるというか、沈むというか、「マジで!?」ってかんじで。
ちょっと寂しくなって、その気分を盛り上げるような歌が口をついて
出てきたこともあり、夕景を眺めながら文字通り黄昏たcrying

それはチョイの間の、感情を経験するプレイなのだけど。

基本、自由意思。自由な選択を個別にするってことなのだから、
誰が悪いわけでもない。

誰かがこう言ったとかに着目するのなら、自分はどうしたいのかを
自問する。それが私の選択だ。

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Profile

Ray/関 加寿代

KNOWING Practitioner(叡智の実践者)、診療催眠療法士、スピリチュアルリーダー、ヒーラー、ボディーワーカー
ライター、イベントや企画のオーガナイザー ChannelAsoInc.代表

私は、あなたが分離の世界から目覚め
なり得る自分」になるお手伝いをします。

Comments

  • イタル: Rayさんこんにちは。 >尊重して放置し、放念するってことかな。 ↑尊重、放置までは分かるのですが「... read more
  • 鹿児島の新米ママ: 想念についてのお返事はマンガよんでるみたいに笑いながら楽しく読ませていただきました。 どんな本よりも... read more
  • 鹿児島の新米ママ: ありがとうございました。葛藤は願い事をかなわなくさせるいばらのようなものなんだなあと改めて感じました... read more
  • itaru: 最近は強烈に引き寄せてる実感がありますよ〜。 read more

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